イギリス最高裁判所(UKSC: The Supreme Court of the United Kingdom)は、2月11日、Emotional Perception AI Ltd社の人工ニューラルネットワーク(ANN: artificial neural networks)を利用した特許出願に対する拒絶査定不服行政訴訟において、従来のイギリス型の特許適格性判断アプローチを改め、EPO型アプローチを適用し、特許適格との判決(UKSC/2024/0131)を下した。ANNは、生成型AIなどほとんどのAIシステムの技術基盤となっており、今後の影響は大きいと思われる。
本件の経緯は、イギリス特許庁(UKIPO)が係争特許出願を特許法に規定する非特許対象として拒絶し、審判でも同様の判断で拒絶する審決が下された。その後、審決不服の行政訴訟で高等法院(High Court, [2023] EWHC 2948(Ch))が従来のコンピュータプログラムと本質的に異なるとの判断を示し審決を覆す判決を下したが、控訴院(Court of Appeal, [2024] EWCA Civ 825)で改めて非特許対象と確認する判決が下された。このように紆余曲折した判断が、最高裁判所の控訴審で最終的に特許適格との逆転判決が下された。今後は、審査差戻で特許庁での係争特許出願の実体審査が行われる。
係争特許出願は、GB 2583455A(出願人: MASHTRAXX LTD、出願日: 2019-04-03、出願番号:1904713.3)名称: 感情的知覚を反映するようにニューラルネットワークをトレーニングする方法、および関連するコンテンツを分類および検索するための関連システムと方法(Method of training a neural network to reflect emotional perception and related system and method for categorizing and finding associated content)、本願は2021年にEmotional Perception AI Ltdに譲渡された)である。
発明の概要は、音楽や画像などに対する人間が主観的に「似ている」という感覚をAIで再現する方法で、音楽であればリズムや音色などの客観的な特徴を抽出し、ANNがそれらを数値ベクトルとして表現し、比較対象の楽曲とのベクトルの距離と説明文などに基づく意味的な距離との差をもとに学習し、両者が一致するよう重みづけやバイアスを調整し、その結果、AIが音楽の客観的な特徴のみから人間が主観的に「似ている」と感じる楽曲を見つけられるようにするもので、例えば音楽推薦などメディアレコメンデーションサービスの効率化・精度向上を目的としています。クレーム構成としては、請求項1がシステムクレーム、請求項4が方法クレームになっている。
本件のポイントは、イギリスの特許法(Patents Act 1977)に規定する非特許対象(第1条(2)(c)項:コンピュータプログラム)がヨーロッパ特許条約に基づきヨーロッパ特許法を導入している情況がありながら、対象となるヨーロッパ特許法の規定(第52条(2)(c)項:同一文言)に基づく判断と同様にするべきか否かである。つまり、イギリスでは、Aerotel Ltd v Telco Holdings Ltd [2006]事件の判決に基づくAerotel アプローチを適用しており、EPO拡大審判部の審決(Enlarged Board of Appeal in 2021 (G1/19))に基づくアプローチを採用し、変更するべきか否かという点である。
イギリスでのAerotel アプローチの判断方法は、当該事件で控訴院が示した4段階テスト(four-step test)、つまり、①適切なクレームの解釈、②実際の貢献(contribution)の特定、③貢献自体が全体として非特許主題(subject matter)に該当するか否か、④貢献が本質的に技術的なものか否かを確認するアプローチで、本件特許出願に対する実体審査、審判(2024年)では、例えば、請求項1はシステムクレームで、構成要件にANNやデータベース、通信ネットワークなど物理的装置が明記されているものの全体としてプログラムと認定されたのである。高等法院は、出願人の主張を認め判断を変えたものの、控訴院では、Aerotel アプローチを適用し、本件出願クレームをプログラムと認定し、非特許対象として、特許適格でないと審決を下した。
最高裁判所での争点は、法的枠組みと特許性の判断であり、以下のように認定した。
法的枠組みについては、従来のAerotelアプローチからEPC第52条の解釈を「あらゆるハードウェア(any hardware)」アプローチ と関連判例(G1/19など)に従った判断方法に準じるべきとした。つまり、「技術的貢献」や「新規性」「進歩性」の評価を先にせず、非特許対象かどうかを先に判断すべきで、「プログラム」は「技術性を欠く純粋なプログラム」であり、物理的装置や機械と結びついた「技術的手段を使用している(any hardware)のは発明と認められる」という原則的な考え方を採用し、「プログラムそれ自体(as such)」という除外事由を回避できるとした。
特許性については、控訴院がANN自体を「情報処理装置」とみなしプログラムを有するコンピュータと判断したことに対して、最高裁判所はANNがコンピュータ上で実行され得ること自体は否定しないが、単に情報処理を行う装置全てを「コンピュータ」とするのは広義すぎると指摘し、ANNは従来のCPU中心のデジタルコンピュータに限定されない多様な計算機能を持つ「計算装置」と理解でき、プログラムとは単にCPUが命令を実行するものに限定されず、「データと計算方法」が結びつき機能を発揮する装置も含まれるべきだと認定した。そして、ANNに含まれるソフトウェア的要素(重み・バイアス・学習アルゴリズム)は単なるデータ以上に機械を制御する役割を持ち、それは抽象的なアイデア、プログラムそれ自体ではなく、物理的ハードウェア上で動作する技術的システムの一部であり、特に、学習済みANNは重みパラメータを含む具体的な計算構造を持ち、物理的装置上で実装されるため、ANNを用いた本件クレームは、単なる「コンピュータプログラムそれ自体」には該当しないとEPO型アプローチで認定した。
この判決は、AI学習関連の特許性判断において、従来の「抽象的プログラム」を機械的に非特許対象として除外するのではなく、技術的性質・装置としての実質を重視する方向性を示したものと評価できる。また。この判決では、イギリスの裁判所は「EPO拡大審判部の決定および審判部の統一判例に間違いがある、或いは合理的な意見の相違の範囲を超えていると確信しない限り、それを尊重し従うべきである」とも指摘している。今後は、イギリスでの特許適格性判断がEPO型アプローチでなされることで欧州特許制度との整合性がとられることも意味している。なお、イギリスでの進歩性判断や評価の違いについては不確実な面があるので、そうした面ではまだ注意していく必要があるだろう。
参照サイト:https://supremecourt.uk/cases/judgments/uksc-2024-0131